研究室ネタとしてよくある話。
教授は学生と話したことを忘れる。これに対していちいち不満に思っていてはしょうがないので、対策を練って思い出させるようにしよう。会社の上司の場合も、ときどき同じような話題が出る。
教授に限らず、教員は一般にとても忙しいので、学生が何十人もいる場合、ディスカッションの内容を次回まで覚えているのは確かに難しい。しかしこのネタで気になるのは、教員サイドから「忘れる」ことを正当化するような意見がしばしば出てくる こと。
この開き直りは、単なる傲慢 です。
- 学生ごとにメモを作り、ディスカッションの内容を簡単にメモっておく。
- 何か言うときには、前と違ったことを言っている可能性を意識しておく。自分の言葉が神の言葉であるような態度をとってはいけない。
- 学生が「前と違っている」ことを言いやすいような関係を構築する。
- これらが無理だったら、そんなにたくさんの学生を研究室に受け入れない(大学によっては無理な場合もあるだろうが)。
私は、以上のレベルの努力は教員の義務の範囲であると思っています。せめて覚えておく努力をして、その上でどうしても忘れてしまうなら仕方ないけれど、メモすら取らずに「忘れる」ことを正当化するのはとんでもない。
自分の能力・努力不足を学生の努力でカバーしてもらうっていうのはプロとして恥ずかしいし、忘れたことによって学生に不要なストレスを与えれば、それが研究の効率を下げることは容易に想像できるはず。現場の努力でなんとかしようというブラック企業マインドにも通じるところがある。
「会社に就職すれば悪い上司はいくらでもいるから、そのためのトレーニングを積ませているんだ」という言い訳もある。これも、自分の怠慢を「教育」という言葉でごまかしているようで見苦しい。学生は基本的には学費を払っているお客様であり、教員は適切なサービスを提供する義務がある。学生は犬じゃないんだから、自分は正しく振舞って、かわりに「こういう上司がいたら、こう対処せよ」と知識を与えるだけで十分じゃないのかな?
文科省の大学改革もナンセンスなんだけど、アカデミックには、若くてもこういう老害マインドを持っている人がけっこういる気がする。日本の研究業界を良い方向に持っていくのはますます難しいという印象。
追記:
前回のディスカッションとは状況が変わっているので、コメントも違うものになる。場合によっては真逆になる。こういうシチュエーションがあるのも本当。でも、この理由まで含めて学生に納得させるのが教員の仕事。「こいつ、前と全然逆のこと言ってるじゃねーか」と思われたら教育効果は低いでしょう?
自分の方がシニアなんだから、学生のモチベーションまで含めてマネージメントしないといけないと思うのです。