2018/09/17

つける? つけない? PhDと書く場合のピリオドとスペース

前から悩ましく思っていたので、この際にちょっと調べてみた。

Doctor of Philosophy の略であるから、原則的にはピリオドがつき、かつ 2 つの単語として認識されるべきである。つまり "Ph. D." だ。

ただし、これは字面的にあまりよろしくない。略号は、それが広く受け入れられているならばピリオドやスペースを省くことも可能である。たとえば DNA。これは deoxyribonucleic acid なので、D. N. A. であり、昔の文献ではこう書いている例もあるが、現在は DNA が普通だろう。

cm (centimeters), mg (milligrams) など、他にも例はたくさんある。Ph. D. も同様で、PhD と書いた方がすっきりする。

よって、この PhD という書き方がどの程度広く受け入れられているかというのがポイント。

The Chicago Manual of Style (CMOS) という英文スタイルについてのマニュアルがあり、ここでは次のように定められている。

Use no periods with abbreviations that appear in full capitals, whether two letters or more and even if lowercase letters appear within the abbreviation: VP, CEO, MA, MD, PhD, UK, US, NY, IL.

つまり、このマニュアルでは「全部大文字の場合、基本的にピリオドなし(それに伴い、たぶんスペースもなし)」と定めている。これを根拠として、現状では PhD とするのが妥当と思える。


ただし、イギリスでは、大学によって D.Phil と表記する場合もあるようだ。このあたりは多様性があってもよいと思う。

2018/06/23

食品科学でよく使われる mg% という単位

見慣れない単位だけど、どうやら試料 100 g 中に含まれる量を mg 単位で表したものらしい。つまり、10 mg% なら食品 100 g 中に 10 mg 入っているということ。

食品科学など歴史の長い分野では、こういう変な単位が残っていることがある。たとえば血糖値は、いまだに mg/dL で表されることがある。デシリットルなんて、小学校以来使わない単位だと思う。
2018/04/11

薬品を生物に投与し,組織への取り込み量を測定するような実験

以下のページをUBC に移動しようと思ったが、とりあえずブログにアップ。あとで時間がとれたら整理する。

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何らかの薬品を生物に投与し,組織への取り込み量を測定するような実験には,ある程度決まった方法論がある。このページでは,実験の基本的な手順や,このような実験を計画するときの注意点 についてまとめる。
 
多くの論文では,単純に目的物質を定量するだけでなく
 
  • 回収率 recovery rate
  • 検出限界 quantification limit
  • 同じサンプルから定量した際の誤差 intra- and inter-day variation
 
なども算出している。
参考にした文献の内容は以下のとおり。
 
1. 漢方薬の成分である baicalin をラットに投与し(i.v. 単回投与),脳内の量を 逆相 HPLC で測定。
3. 食品中のソルビン酸,安息香酸 benzoic acid を抽出し,逆相 HPLC で定量。
投与法

経口投与および静脈注射 i.v. infusion がよく使われる。単回投与 single dosage の方が解釈が簡単になりそう。
 

静脈注射
  • 目的物質は水溶性か,脂溶性か?
  • 水溶性の場合,水に溶かすか,緩衝液に溶かすか?
  • 脂溶性の場合,溶媒は生体に影響を与えないか?
  • 目的物質の投与量はどれぐらいになるか? 達成したい血中濃度と血液量から算出することになる。
  • ラットの血液量は,約 70 mL/kg body weight である(2)。
  • Blood に血液量の一覧があります。
  • どれぐらいの液量を注入することになるか? 目的物質の溶解度と投与量から計算。
 
 
経口投与
  • 動物がその餌をコントロールの餌と同じぐらい食べるか?
  • 食べる量が変わったとしたら,それによる影響は?
  • どれぐらいが血液中に移行するか? 最大濃度,時間など。
 
 
組織からの抽出
  • どんな溶媒で抽出するか?
  • 回収率の検討

> 文献 3 では抽出に水蒸気蒸留を用いており,抽出を繰り返して回収率と留出パターンを求めている(3)。
: 安息香酸標準液(0.1 g/kg)を試料に,100 mL ごとの画分で 600 mL まで流出液を採取する。
: 画分 1, 2, 3... に含まれる安息香酸の量を測定する。
: 1 回目で 85%, 2 回目で 95% のように,回収率が上がっていき,やがて上限に達する。
検出限界 Quantification limit

> 検量用標準液の最低濃度(安息香酸 0.1 µg/ml)測定時の標準偏差の3倍を検出限界値としている(3)。
> "The quantification limit ... defined as a signal-to-noise ratio of 3:1 was 10 ng/ml (1).


  1. Zhang et al. 2005a. A chromatographic method for baicalin quantification in rat thalamus. Biomed Chromatgr 19, 494-497.
  2. Rat Biomethodology, Laboratory of Animal Resource Center, The University of Texas at San Antonio.
  3. 山上ほか 2010a. 高速液体クロマトグラフィーによる食品中のソルビン酸,安息香酸分析法について. 山梨衛環研年報, 54, 48-51.
2018/02/20

「都合のいいデータだけ取捨選択する」ことは悪ではない。メモ的乱文。

「都合のいいデータだけ取捨選択する」を絶対悪のように言ってる人は、偽善者か実情を知らないか言葉足らず。

論文には、ほとんどの場合 "Discussion" という項目がある。過去の論文を引用したりしながら、結果の解釈などを試みる項目。関連論文を全て引用したら数千件・数万件になるので、論文を書いたことがある人ならこの「取捨選択」をしていることになる。Discussion は結論を導く重要な部分なので、これも「都合のいいデータを取捨選択する」ことになるのではないかと思う。

実験をするなら、ほとんどの場合で「予備実験」がある。「予備」っていうのも自分に都合のいい解釈で、他の人は「予備」だと思わないかもしれない。でも、予備実験の結果などはまず公開されることはない。

つまり「取捨選択」は科学の重要なプロセスの一つであり、これがない限り、科学的知見はゴミデータの山に埋もれてしまうだろう。

「自分はフェアに取捨選択をしていて、特定のバイアスはない」との主張も、主観にすぎない。他の人から見たら全然フェアでないかもしれない。

たぶん、私が科学の主観性を隠そうとする人を嫌いなのは、謙虚さを感じないからだ。むしろ「自分が客観」という傲慢さを感じる。この傲慢さは、むしろ科学の基本的な方法論と矛盾してしまう。

科学とは「私はこのデータをこう解釈します」という仮説を提唱し合うゲームであって、どこまでいっても主観の域を出ないものだと思う。単に、多くの人の主観にマッチした知見が「事実」として共有されていくに過ぎない。1億回再現された実験でも、1億1回目も同じ結果になるという保証はない。

科学の限界を知り、その中で「正しく」あろうとする態度が大事。ミスリーディングを目的とした意図的な取捨選択は糾弾されるべきだが、それは多くの人の「主観」から成る「事実」および「科学の方法論」から遠いところに着地しようとするからで、取捨選択自体が問題なのではない。

もちろん、データの捏造はまた別の話。


2017/11/02

大学の先生は、「忘れる」ことを開き直ってはいけないと思う

研究室ネタとしてよくある話。

教授は学生と話したことを忘れる。これに対していちいち不満に思っていてはしょうがないので、対策を練って思い出させるようにしよう。会社の上司の場合も、ときどき同じような話題が出る。

教授に限らず、教員は一般にとても忙しいので、学生が何十人もいる場合、ディスカッションの内容を次回まで覚えているのは確かに難しい。しかしこのネタで気になるのは、教員サイドから「忘れる」ことを正当化するような意見がしばしば出てくる こと。

この開き直りは、単なる傲慢 です。

  • 学生ごとにメモを作り、ディスカッションの内容を簡単にメモっておく。
  • 何か言うときには、前と違ったことを言っている可能性を意識しておく。自分の言葉が神の言葉であるような態度をとってはいけない。
  • 学生が「前と違っている」ことを言いやすいような関係を構築する。
  • これらが無理だったら、そんなにたくさんの学生を研究室に受け入れない(大学によっては無理な場合もあるだろうが)。

私は、以上のレベルの努力は教員の義務の範囲であると思っています。せめて覚えておく努力をして、その上でどうしても忘れてしまうなら仕方ないけれど、メモすら取らずに「忘れる」ことを正当化するのはとんでもない。

自分の能力・努力不足を学生の努力でカバーしてもらうっていうのはプロとして恥ずかしいし、忘れたことによって学生に不要なストレスを与えれば、それが研究の効率を下げることは容易に想像できるはず。現場の努力でなんとかしようというブラック企業マインドにも通じるところがある。

「会社に就職すれば悪い上司はいくらでもいるから、そのためのトレーニングを積ませているんだ」という言い訳もある。これも、自分の怠慢を「教育」という言葉でごまかしているようで見苦しい。学生は基本的には学費を払っているお客様であり、教員は適切なサービスを提供する義務がある。学生は犬じゃないんだから、自分は正しく振舞って、かわりに「こういう上司がいたら、こう対処せよ」と知識を与えるだけで十分じゃないのかな?

文科省の大学改革もナンセンスなんだけど、アカデミックには、若くてもこういう老害マインドを持っている人がけっこういる気がする。日本の研究業界を良い方向に持っていくのはますます難しいという印象。


追記:
前回のディスカッションとは状況が変わっているので、コメントも違うものになる。場合によっては真逆になる。こういうシチュエーションがあるのも本当。でも、この理由まで含めて学生に納得させるのが教員の仕事。「こいつ、前と全然逆のこと言ってるじゃねーか」と思われたら教育効果は低いでしょう?

自分の方がシニアなんだから、学生のモチベーションまで含めてマネージメントしないといけないと思うのです。